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あれはちはるが4歳の頃。

保育園にお迎えに行ったところ、友達から「ちーちゃん、ばいばい」と何度も言われているのにずっとガン無視で、ちょっとびっくりしました。

ちはるは家では元気いっぱいなのに保育園ではおとなしく、先生曰く、みんなが脱ぎ散らかした靴をひとりで揃えていたりするそうです。なんだか物哀しい……。

ふしぎに思って、「ちーちゃん、なんでおうちでは元気なのに、保育園では大人しいの?」と聞いてみました。

この回答を聞いて、

と腹落ちしました。

姉夫婦は穏やかな性格で、めったに怒りません。子どもがいけないことをしたときは、怒るというより優しく諭します。


だからちはるはときどき祖父から「コラッ」と怒鳴られると、びくっと体を震わせてしばらく停止してしまいます。慣れていないから「怒る人」のことが単純に怖いし、自分がすごくいけないことをした気になって萎縮してしまうのでしょう。

育児の世界ではたぶん、「感情的に怒らず、優しく諭すこと」はいいことされていると思います。でも、家の外に出ると、理不尽に怒られる機会なんてたくさんありますよね。そういうときに戸惑ってしまう、という思わぬ副作用があるんだな。

こどもにイライラした態度を見せたり邪険に扱ったりする母親もいるけど、こどものほうも負けず怒鳴りかえしたりしていて、タフだったりします。きっと短気だけど打たれ強い子になるだろうな。どんなことにも良い面悪い面両方あるから、あんまり子育てに「~べき」と神経質にならなくてもいいのかもしれない、と思います。

よくこういう親子見るけど逞しさを感じます

話をちはるに戻すと、彼女は1歳くらいのときから、「おいしい!」と思ったものを好きな人に分け与えて、ほっぺたに手を当てて心から嬉しそうにする子でした。私は「天使かな?」とたまげたものです。でも、成長するにつれてそういう純粋な気持ちは失われていくんだろうな。

怒られないために、褒められるために、好かれるために、優しくあろうとする。相手が喜ぶことが自分の喜びだったからしていたことを、相手のためと言いつつ自分を守るためにするようになる。そういうのは相手に伝わるものなので人間関係に不和を起こすけど、相手のためと思っているので原因に気づけない。「こんなにやってあげているのに伝わらない」「みんな自分勝手だ」なんて孤独感を味わうこともあるかもしれない。自分で自分を苦しめてるだけなのにね。

でも、人生ってそういうものなんだろうな。承認欲求はモチベーションになって、人をある一定のレベルまで成長させてくれるものだし。衝突したり悩んだり途方に暮れたりするかもしれないけど、きっと頭のいいちはるはいつか気づいて、原点に戻ってこれるはず。

でも、もし。もしちはるが自分のことがわからなくなって、ぎりぎりまで追い詰められてしまったとしたら。そのときはちゃんと伝えられるよう、覚えていたいと思 う。正しくあろうとする必要なんてないし、良い人を目指す必要なんてない。否定されることや居場所を失うことを恐れずに自分が心からしたいことをすれば、きっと自分も周りも幸せにできる。だってもともとちーちゃんは、愛の塊のような子だったから。

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