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2004年、大学2年生のとき、派遣会社と大学が提携して実施していたインターンシッププログラムに参加しました。

私が行くことになったのはウェブ広告のベンチャー企業です。初めて聞く名前の会社だったけど、当時はITベンチャーへの注目が高まっていた時期だったので期待に胸を膨らませて参加しました。それはもうハトのように。

初日、社員のみなさんがインターン生の私たちに指示したこと。
①キーワードツールを使い、いま検索数が多いワードを探す
②そのワードを思いきり多用したページをつくる
以下、それを永遠に繰り返す。

たとえばそのとき検索数が多かったのは「世界の中心で、愛を叫ぶ」「セカチュー」。そこでネットに落ちている情報を繋ぎ合わせ、こういうページをつくるわけです。

世界の中心で、愛を叫ぶ とは、片山恭一の青春恋愛小説である。世界の中心で、愛を叫ぶ の愛称はセカチュー。世界の中心で、愛を叫ぶ (セカチュー)は2004年に映画化されて大ヒットとなった。世界の中心で、愛を叫ぶ (セカチュー)の主演を務めるのは……

私は、

と思いました。

ここで求められているのはただひとつ、ワードを多用すること。情報の充実度や文章の正しさは必要ない。ウィキペディアの超絶劣化版、それでOK。質より量、いかに早く、いかに多くページをつくるかに頭を使え。いや使わなくていい、考えるな、自動的に手を動かせ。

ハト胸から一転、漏斗胸になるくらい期待は萎みました。ひまえみにはウェブ業界のことはわからぬ。ひまえみは呑気な大学生である。口笛を吹き、友と遊んで暮らしてきた。けれども低俗な企業姿勢には人一倍敏感であった。そして自身の世界を広げてくれたインターネットを愛していた。この会社が行っていることは小銭を稼ぐ代わりにインターネット社会を汚す下劣なものだと激怒した。

だがしかし、ひまえみは同時に小利口者でもあった。ここで企業姿勢を糾弾しても何の意味も為さないだろう。またここでやめたら、インターン説明会に出席した時間や通勤時間が灰燼に帰す。派遣会社に意見をするにしても、初日で辞めたとあっては此方の辛抱が足りないと思われてしまうに違いない。メロスは、じゃないひまえみは先ず周りを見渡し作戦を練った。そろそろメロスパロ飽きたので通常に戻します。

私の目的はふたつ。
①一刻も早くこのインターネット上にゴミをばらまく不毛な作業から解放されたい
②少しでもこのインターンを有意義なものにしたい

狙いを定めた私は、まずは3日間黙々とゴミを量産しました。やる気と結果を見せればその後の交渉がしやすくなるだろうと思ったからです。私の1日あたりのゴミ算出量は、ほかのインターン生の2倍でした。インターン生は体のいい無償アルバイトじゃないし、学びがあるべきもの。とはいえ受け入れ企業にもメリットが必要なのはわかる。でも、これだけやったら充分でしょう?と。

4日目、社長に「もうこの仕事で学べることはなさそうなので別の仕事がしたいです」と相談し、すんなりとウェブデザインの仕事に移らせてもらうことに成功しました。向こうも面倒な学生とモメる時間がもったいなかったのでしょう。

htmlやPhotoshopはある程度使えたので、Flashの基本操作を教えてもらい、マウスポインタを合わせると動きが出るアイコンを製作するなどして残りの期間を結構楽しく過ごしました。そして派遣会社による面談の際は「来年はこの会社をインターン先から外したほうがいいです」と提言しました。私にとって有意義だったかどうかとインターンプログラムとして適切かどうかは関係ないことですからね。

私と一緒にインターンを始めた学生は2週間ずっとゴミを生み出しつづけていて、心を削られていました。「仕事は大なり小なり社会に役立つものだと信じてた、でもこの仕事はむしろ人に迷惑をかけてる」「毎日毎日同じ作業の連続で、自分にとって何のプラスも成長もない」。そう泣きながら派遣会社に訴えていました。

(いま気づいたけど猛の字おかしいな……)

と頷きながらも、

と悦に入っていました。まあ私はクソ野郎ですからね。

ちなみに、まだ若い社長は面談の際に「僕はこの仕事が社会の役に立たないとは思っていない。現に広告主の役に立っているから成り立っているんだよ」と話していて、フーンと鼻白みました。「成り立っている」=「社会の役に立っている」と定義するならオレオレ詐欺だってぼったくりだって役に立っていることになってしまいます。「社会の役に立つとかマジでどうでもいいよ! 俺、金稼げればそれでいいもん!」と潔く開き直ってくれたほうがよっぽど好感が持てるなと思いました。

でもこの経験によって、自分が働くときは“社会にどんな価値を提供できるか”という軸が重要であることが明確になったし、与えられた環境を良いものにするのも悪いものにするのも自分次第だという自信がついたし、Flashの基礎もマスターできたし、ある意味いいインターンであった。

と当時は信じていたのですが、30を過ぎたいま振り返るとこれは「小利口の愚」ではないかと思います。

そもそも本当に賢い人は初日で辞めて、自力で別のインターン先を探すはず。「ここまでに費やした時間がもったいない」というせせこましい考え方のせいで、最初の3日間更に無駄な時間を費やしてしまっている。

「結果を出すことで交渉しやすくなるから」という計算だったけど、それは結局会社に労働力を無償提供するということで、その会社の存続にも、インターンプログラムの存続にも一役買ってしまう。何より、自分の信条に反する仕事に従事するのは自分を損なう行為です。よくない。

初日で辞めたら何やかんや言われたことでしょう。「1日じゃ何もわからない、早計だ」とか「働くことを甘く見すぎている」とか。そうやって批判されるのが嫌だから、「これおかしくない?」と思っても、与えられた枠の中でうまく立ち回ろうとしてしまう。そうすると周囲に褒められ自分は賢いと錯覚してしまうけど、結局は大きなシステムにとって都合の良い歯車になっていることに気づかない。そして段々と情熱を失っていき、「世の中こんなものだ」とスレていく。

これを小利口の愚と私は呼んでいます。ちょっぴり要領が良く、自分は優秀であると思い込みたい人、つまり私が陥ってしまいがちな甘い罠。ひまえみはメロスではなかった。メロスのような情熱も愚直なまでのひたむきさも持ち合わせていなかった。故に磔刑を言い渡されることもなければ裸になり奔走する羽目にも陥らないが、暴君ディオニスが改心するきっかけもつくれない。そして現在、ネット社会にはディオニスが溢れている。

いまの時代に必要なのはきっと、与えられた枠を疑って、自分の感覚を信じて、必要なときはその枠から飛び出す行動力なんじゃないか。そう私は考えるのだが、君はどう思う、我が友セリヌンティウスよ。

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