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「どうしてほしいのか、ちゃんといわないとつたわらないよ」。

1年生のみうちゃんが、突然泣き出してしまった。たれ目がちな瞳から、白桃のような頬に大粒の涙がぽろぽろとこぼれる。私が児童館でボラバイトをしていたときのこと。

当時私は大学生で、「子どもに関わる仕事に就くのもいいかなぁ」という漠然とした考えから、近所の児童館に通っていました。ボランティアではないけど、バイトと言えるほどの給料は出ない、それがボラバイト。子どもたちを見守りながら遊ぶだけの気楽な仕事でした。

「いつもの先生とは違う、若いお姉さん」というものは、それだけで子どもたちの興味を引くようです。みんな人見知りせず物怖じせず寄ってきてくれて、すぐ仲良くなりました。その中でも1番「先生、先生」と慕ってきてくれていたのがみうちゃん。そのみうちゃんが、こちらを見ながら無言で泣いています。

……。

子どもたちは優しい子ばかりで、すぐにみうちゃんの周りに集まってきました。みうちゃんどうしたの? どこかいたいの? かなしいことがあったの? どうして泣いてるの? みうちゃんは何も言わずに首を振るばかりで、みんな困った顔をしています。

私はそのときみうちゃんと同い年のみどりちゃんと遊んでいたので、(もしかしてヤキモチかな……? いや自惚れが過ぎるかな……)と右往左往して、「おなかが空いているのかな? おなかが空くと人はかなしい気持ちになるものね……」などと慰めていました。

すると、それまで黙っていたみどりちゃんが、みうちゃんにきっぱりとした口調で言いました。

「みうちゃん、どうして泣いてるのか、どうしてほしいのか、ちゃんといわないとつたわらないよ」。

子どもは、時折ハッとするほど鋭い言葉を発する生き物です。

ひっく、ひっくと肩を揺らしていたみうちゃんは一瞬動きを止めてみどりちゃんを見て、そのまま部屋から走り去ってしまいました。追いかけようとすると、「先生、ほっといたほうがいいよ」とみどりちゃん。

(みどりちゃんは本当に6歳児なのかな? もしかして黒ずくめの男たちに謎の薬を飲まされた人たちの仲間かな……?)

と訝しみつつ、私の頭の中では先ほどのみどりちゃんの言葉がリフレインしていました。私に向かって発せられた言葉のように感じたのです。

それまでの20年の中で、私は友人との関係において「寂しい」と感じたとき、「拗ねる」というアクションを選んできました。

たとえば、同じグループの友人同士が昨日カラオケに行った話で盛り上がっていたとき。

(ちょっと聞いてよ〜〜昨日M菜がカラオケでさ〜〜) (えっちょっと待って昨日カラオケ行ったの? 私誘われてないんだけど??????) (えっなんで? 私2人と仲良いよね?? なのになんで誘ってくれないの? へえ〜〜そう……私は誘う価値ないってか〜〜そっか〜〜〜! そっちがそう出るならこっちも週末I子とS美とY代誘って遊びに行くわ〜〜〜2人のことは誘わないわ〜〜〜〜)

たとえば、部活やサークルのみんなで遊びに行こうという話が出たとき。

「ねーー27日みんなでボウリング行こうって話出てるんだけどひまちゃんもどう?」 (その日バイトだし……てかなんで日にち指定なの? 私の予定聞いてから日にち決めるべきじゃない?) 「好きだねーーーボウリングーー。私パスーー忙しいしーー」

…………。


いままで客観的に自分の言動を省みることがなかったけれど、よくよく考えてみると…………。

(えっ私の言動……めんどくさすぎ……?)

どんな心理が働いているのか自分で分析すると、

①周囲に対して「120%の好意」を期待してしまっていて、
70%位の好意を向けられても50%分不満に感じてしまう

②そして、「自分は120%を求めているのに70%しか向けられていない」という事実を惨めに感じて、50%分相手から離れること、嫌いになることでバランスを取ろうとしてしまう

③結果、相手に「仲良くしたい」という気持ちは伝わらず、または伝わっているけどめんどくさいなと思われ、良好な関係が築けない

ということなんじゃないかな、と思いました。

……………。

(えっ私の思考回路……ポンコツすぎ…………?)
・	まず周囲に対して120%の好意を期待しまうっていうの、全人類にママを求めてグズってるようなものでは……? しかもそれが周囲に薄々バレてるってめっちゃ恥ずかしいのでは……。友達に無償の愛を期待するの重すぎるし、60〜70%の好意があれば友情を育むには十分だよ! それが適切な人間関係というものだよ!!   ・	そんで「仲良くしたい」という希望に対して感じ悪い態度取ったり自分から距離を取ったり、アプローチが真逆! 故に得られる結果も希望と真逆になる! 愚か! シンプルに愚かというほかない! 吾二十にして己が愚かさを知る!! そしてその代償として恥ずかしさのため死ぬ!
ひまえみ之墓 死因 恥か死 享年20歳
しかし(墓から起き上がるイラスト)
自分の心を見つめるのはときとして致命傷となるほど恥ずかしいけど有益ではあるな  これまでの人間関係におけるトラブルや悩みは、自分の本当の望みがわからない、だから適切な言動が取れない ことによって自ら招いていたのかもしれない……

だとしたら、

そうした自分の無意識化にあるものを意識することで、
→自分に振り回されることがなくなる
→求める結果に対して適切なアプローチが取れるようになる
→人間関係のトラブルが減る、希望や目標が叶いやすくなる

そんな風に私が精神世界を彷徨い死と再生を迎えひとつの仮説を立てている間に、現実世界では1時間ほど経っていたようです。みうちゃんが一皮剥けたようにつるりとした晴れやかな笑顔で駆け寄ってきました。

「みうともあそんで」

可愛わわわわわわわ………!!!!!

「どうしてほしいのか」ちゃんと自分の気持ちと向き合って素直に伝えることは、意外と難しいけど、とても大切なこと。そうみどりちゃんとみうちゃんから教わったので、私も見習おうと思ったよ。

「昨日カラオ」「行きたかったァァァーーー!!!」「予定あるって言ってたじゃん」「誘われた上で断りたかったァァーー!!」「え?土曜日BBQ? OK一旦それバラシで。次の日曜にしません? あと次から一番に私の予定聞いてもらっていいですか?」

別ベクトルの面倒くさい人にシフトしただけの気がするけど自分の気持ちを率直に伝えるとスッキリするし迂闊につっこめない面倒な人よりつっこみやすい面倒な人のほうが面倒レベルは下な気がするのでオッケーオッケーオールオッケーーーー!!

(2019/6/29追記:算数が間違っていたので中盤に出てくる数字を40%から50%に修正しました……120-70=40じゃなくて50ですね……計算能力が6歳児……)

 続き↓

         

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