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今回はこの記事の続きです。

「人間関係におけるトラブルの大半は、無意識の内に働く過剰な防衛機制や不合理な思考によって自ら招いていたのかもしれない」

「自分の無意識化にあるものを意識することで、自分に振り回されることが無くなり、求める結果に対して適切なアプローチが取れるようになるのでは?」

と気づいてから私が行なったことのひとつに、「名言デトックス」があります。
「無意識のうちに自分が振り回されているもの」のひとつに、「すごい人の名言」があるのかも、と感じたからです。

ストイックな名言のオーバードーズ

私は子どもの頃から偉人伝の類を読むのが好きだったし、実家が商売を営んでいたので家には経営者の心構えを説く本や冊子が散らばっていたので、自然と「すごい人の名言・格言」を摂取してきました。大学で経営学のゼミに入ってから、その傾向は加速します。

時代は2000年代半ば。「ブラック企業」という言葉が一般化する前で、にわかに「自己責任」という言葉が注目を集めはじめた時期です。本だと『プロ論』、漫画だと『働きマン』がよく売れてたな。そういう時代の影響も受けてか、私が惹かれる言葉やエピソードは努力至上主義的というか新自由主義的というか、「言い訳をしない」「周囲の期待に120%で応える」「環境を生かすも殺すも自分次第」といったストイックなものばかりでした。

「さっすが有名経営者! 圧倒的な努力によって常人では諦めてしまうような困難を乗り越える! そこにシビれる! あこがれるゥ!」

ストイックな姿勢や名言は、易きに流れやすい自分を鼓舞してくれるカンフル剤のような効果があります。用法用量を守り正しく摂取する分にはいいのですが、そこは未熟な若人なので! オーバードーズしてしまう! そして溢れた分をつい他人に押し付けてしまう!

たとえば、チームで課題に取り組む際、自分の担当分をやってこなかった友人に対して。

「ごめん昨日バイトが長引いてできなくて……」  「いやみんなバイトしてるし条件は同じだよ。“できなかった”んじゃなくて“やらなかった”んでしょ? 物事はできるかできないかじゃなくて、やるかやらないかだよ」

たとえば、人の欠点を陰で言い、本人には指摘しない友人に対して。

「あの子こういうところ直せばいいのにね」  「そう思うなら本人に言いなよ。指摘して嫌われるのが怖いの? そんなの本当の友情じゃないよ。いつも仲間が大事って言ってるのに口だけなの?」

………た、正しさの暴力〜〜〜〜!!!! いや、自分で徹底する分にはas you like だけどそれ人に押し付けるのis なぜ!? ホワ〜イ!? How come sooooo エラソウ!? と、いまなら思う。いまなら! でも若いときは「相手のため」だと思っていたんだ! 若さって怖い! 青い果実!!!! どっどど どどうど どどうど どどう!!!!!!!!!!!!!!!

【どっどど どどうど どどうど どどう】   『風の又三郎』(宮沢賢治)に出てくる風の擬音語。「青いくるみ」や「すっぱいかりん」など未熟なものを吹き飛ばす。若く未熟で青かった自分の言動を振り返って恥ずか死にそうになったとき、「アイツを吹き飛ばしてやってくれよ又三郎!!!」という気持ちを込めて叫ぶと少し気が晴れる。

頭の中のモヤモヤを、書くことで実体化させる

そう、私は相手のためにあえて厳しいことを言っていると、そんな自分は偉いと思っていたのです。しかしそんなの押し付けられたら周囲の人はたまったもんじゃないよね。当然、人間関係に軋みが出てくるわけです。でも自分に原因があるなんて夢にも思わない。

そんなことにぐるぐると悩んでいたときに起こったのがみうちゃんみどりちゃんとのやりとりで、「あれ、もしかして……?」と思ったのです。ちょうどその頃大学の先輩から「悩むんじゃなくて考えたほうがいいよ」とアドバイスを受けたので、紙に書き出すことにしました。

「ひまえみちゃん、ちゃんと考えてる? あてもなく悩むんじゃなくて、情報を整理して解決策を考えたほうがいいよ」「えっいやいやちゃんと考えてますよ! そりゃもう真剣に考えて……………なかったかもしれないな……」「でしょ。紙あげるから書き出してごらん」

白い紙に、まずは現在の状況とそれに対する自分の気持ちを心ゆくまで書き殴り、少し落ち着いたらそういう状況をつくった原因と思われる自分の言動と思考を挙げてみて、最後に解決のために自分が取りうる選択肢とそのメリット・デメリットを整理していきました。

そうすると頭の中がすごくスッキリしてね! 頭の中に茫漠とした塊として存在していたものが絡まった毛糸として実体化し、「あ、この糸を辿っていけばほどける……?」と糸口が見えたような感覚でした。

一通り書き出して読み返してみたら、

「私はいつも“相手のため”とか“みんなのため”とか思いながら厳しいことを言っていたけど、もしかして“筋を通して頑張っている私”を認めてほしかっただけなのでは?」「それなのに“あなたのため”みたいなそぶりで正しさを押し付けるとか……ただの嫌な奴なのでは?」

「私は本音でつきあい高め合える関係性を求めていたけど相手はそうじゃなかったわけで……仲が良くても違う人間なんだから“こうあるべき”という理想を暗に押し付けて批判するのは乱暴だよね……」「もしその上で相手に変わってもらうことを目指すなら、“責める”なんて非効率的だし悪手だったな……」

「こうしてちゃんと考えれば“なぜこうなったのか”も“どうすればいいか”も明らかになるのに、なぜ私はいままでこんな簡単なことを20年もの間してこなかったんだろう? にもかかわらずなぜ人に偉そうに説教していたんだ……?」

と恥ずかしくて死にたくなりました。

というか死にました
しかし死んでいる場合じゃないので復活しました

思考の整理整頓をした結果、恥ずか死にたい気持ちになった一方で、一番被害を被ったであろう友人に謝らないと、とも思ったのです。

「私は今まで散々偉そうなことを言ってきたけれども それはどうやらこうこうこういうわけで…… 要するに完全に私が悪かった  ごめん」

正直に自分の気持ちを伝えたところ、

「ひまえみはいつも正しいことを言って実行していくから、それができない自分がダメな人間に思えたし大事な友達に軽蔑されてると思うと辛かった……」

思った以上に自分の言動が友人を傷つけていたことを知り、本当に申し訳なくなりました……。自分が苦労するだけならまだいいけど、大事なはずの友達に辛い思いをさせてしまうなんて……思考回路がポンコツなことはトゥーギルティ……。

反省すると同時に、「相手のため」と思っていた気持ちは実は「自分のため」のものだったけど、その奥にはちゃんと相手の幸せを願う気持ちもあったんだな、とも思いました。

自分の一番奥にある感情にまっすぐフォーカスして行動できれば余計なトラブルは起こらないのに、成長する過程で身につけた認知の歪みや思い込み、不合理な思考が埃のように絡みつき、そこにたどり着けなくしている。

私の場合、それまで好んで蒐集してきた名言・格言も、「埃」となっていると感じたのです。

長くなったので続きは後編で。

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