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①人から理不尽な扱いを受けたときに自覚的に自分を守ろうとしないと、無意識が心を守るために暴走するようになり、人からの正当な指摘や批判も「攻撃」や「全否定」のように過剰に受け止め、否定したくなる ②そうならないためには、人から理不尽な攻撃を受けたときに、ちゃんと闘ったり、自分を労ったりすることが大事  そして、 ③人はすぐ忘れるので何度も肝に命じる必要がある  ということかな? よしわかった、今後何らかのハラスメントを受けたときには間髪入れずにフライングクロスチョップを入れることにすることを誓います! その前提のもとにもう一度考えてみたいんだけど、 今回の件ってただ単に厳しいというだけで、ハラスメントではないよね? 指摘された内容も納得の行くものだったよね? 編集者としての知識や経験、技術はないけど私のことを褒めてくれる人」とだけ仕事していたら、楽かもしれないけど、きっとどこかで行き詰まるよ。フリーランスにとって、厳しいことを言ってくれる人って貴重じゃない? 内心ではクオリティに不満があっても笑顔で受け流して、次からは仕事を頼まない、という編集者だってたくさんいるだろうし。  人からの厳しい指摘や批判を拒むっていうのはさ、「いまこの瞬間の自分がMAXで、これ以上成長の余地はない」と自分で自分を見限ることに近いんじゃないかな。それよりは、指摘を受け入れてライターとしての能力を高めていくほうがずっと気持ちいいはずだよ ……と……私は思うんだけど……  でももし、「これまでさんざん自分に軽んじられてきてもう限界、どうしても心がついていかない」っていうなら、今回はAさんに「できない」とお返事しようと思うんだけど……どうかな?  ただしそれはわたしたちの問題なのでAさんのせいにするのはナシね 子どもたち「………原稿書き直す」 私「お! よかったー、じゃあなんて返信するか考えようか」 子どもたち「まず文章を修正してみて、どう修正すればいいかわからない部分を聞くのがいいんじゃない?」「背伸びしないで自分の得意不得意を正直に伝えるのがいいね」

……という脳内会議を経て修正原稿を提出し、A さんと何度かやりとりをしてこの件は事なきを得ました。

ちょっと補足をすると、「それがまっとうな内容であっても否定されたくない」とか「否定してきた人を否定したい」という感情が沸き起こること自体を否定する必要はなくて、むしろ「わたしってそういうところあるんだな〜」と気づいて受け入れることが大切だと思うんですよね。

でも、それと「どういう行動を取るか」は全く別の話。感情のままに行動したら望まぬ結果が起きて、それによってストレスがかかったり、さらに自分を正当化するために相手を悪者にしてどんどん自分が信じられなくなって……というループにハマってしまうかもしれない。それよりは、「感情と相談しながら、どう行動するかを考える」ほうが、ずっと自分を大事にすることにつながると思う。

私と分身の子供たちが笑顔で話すイラスト

このことがあってから、編集者からの赤字に「むむ……」と感じたときは、次のような指針をもとに行動するようになりました。

・「自分のプライドを守るために相手からの指摘を否定しようとしていないか」
に注意しながら、「赤字を反映することで、原稿はより良くなるか」を第一に考える。

・「良くなる」と思うなら反映し、「良くならない」と思ったときは、編集者に率直に自分の意見を伝える。その際、相手の編集スキルを批判したいのではなく、原稿を良いものにしたいのだということが伝わるようにこころがける。

・その際、相手が「編集者に口ごたえするなんて生意気」と考えるような編集者なら、今後つき合っていてもいいことはないので取引を見直す。

これは私の指針であって、人によっては「言葉遣いがキツい編集者や配慮がない編集者とは絶対につき合わない」とか、「仕事が来なくなるのが怖いから編集者には絶対に逆らわない」という指針を持つかもしれないし、その結果に自分で責任を持つならアリだと思う。

何にせよ、こういった自分なりの指針を持つと余計なところでエネルギーを消耗しなくなって仕事そのものに集中できるからいいよね、というお話でした。



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