「あんたがあたしを嫌いでも、あたしは好きよマミリン」と言える大人になりたかった(けれども、しかし)
矢沢あいの『天使なんかじゃない』、通称『天ない』という少女漫画をご存知でしょうか。1991年から1994年まで集英社のマンガ雑誌『りぼん』で連載された作品です。
新設私立高校を舞台としたラブストーリーで、生徒会副会長の翠ちゃんは会長の晃に片思い中、という設定。登場人物の着る服が保守的……というか率直に言ってダサいのが多かった当時の少女漫画世界の中で、トレンドを取り入れた翠ちゃんたちのファッショナブルな姿は革命的なインパクトがありました。扉絵や付録も色使いがおしゃれでスタイリッシュ。というわけでとーっても人気のあった作品ですが、私はこの冴島翠という女に何とも言えない感情を抱いてましてね……。
だって翠ちゃん、生徒会選挙の応援演説でクラスメートに「翠はうちのクラスの天使です!」って言われたのをいいことに自ら「エンジェル冴島」と名乗り、自らを模した天使のイラストを学園祭とかいろんなところで使うんですよ。
子供心に、
と冷めた目で見ていました。
更に翠ちゃんは、生徒会活動が楽しいからと「引退したくない、卒業までやりたい」と泣きながら駄々をこね、3年になって次の生徒会が発足されてもOBとして活動に参加することを先生に認めさせるんですよ。正確には当初堅物優等生として登場し次第に態度を軟化させた書紀のマミリンが先生を説得し翠ちゃんは「さっすがマミリン♡」と嬉し泣きするのですが、
と思いました(※なおあたかも天ないアンチのような書きぶりですが全巻新刊で買っていたしいまでも持っています)。
学園の中にはちょっと意地悪なヤンキー女子もいて、翠ちゃんが差し出したハンカチをぐしゃぐしゃにして床に放った後に「なっにがエンジェル冴島よ調子に乗ってんじゃねーよ!」と言うシーンがあるのですが、私はこの意地悪女子に共感し
と思っていました(※繰り返しになりますが全巻持っています)。
最終回の卒業式に至っては翠ちゃん、答辞の最中に泣き出し、生徒たちから「がんばれー!」「エンジェルー!」と応援され、晃に「最後にこれだけは伝えなきゃってことがあるだろ」と諭され、語り終わった後は「先輩さいこー!」の声を浴びながら晃に抱きつくんですよ。
冴島翠メモリアルコンサートかな?
私は陰キャの極み人間なのでもしこの学園の生徒だったら「なんなんだこの茶番は……なんで卒業式で生徒会が主役の物語のモブ役を演じなければいけないんだ……先輩さいこー!って叫んだ後輩誰だよ場違いなかけ声にも程があるだろ特定して校舎裏に呼び出すぞ」と白目を剥くだろうなと思いながら読んでいました(※全巻持ってる)。
ちなみに天ないを青春のバイブルとしている女子は多かったので、ティーンの頃にこういう感想を同級生に話すと迫害されました。
なおここまで書いてて自分でも「こんなひねくれた物の見方をする10歳児だったのかな私……」と不安になったけど、6歳上の姉と読んでいたのでおそらくひねくれていたのは姉で私はその影響を受けたのだと思う……なので現役の天ないファン過激派がこの文章を読んで気分を害したらその怒りは私の姉に向けてほしい……その手に持った石を下ろすんだ……!
と、ここまで本題と関係ない前置きでした。ここからが本題。
そんな翠ちゃんですが、1つ素晴らしいなと思うところがあったのです。
物語の中盤、生徒会会計の滝川くんに長年片想いしているマミリンを応援しようと思った翠ちゃんは、新入生歓迎会で2人を主役とした白雪姫の劇を企画します。マミリンは渋々承諾するんですが、瀧川くんの彼女が新入生として入学したことを知り、「彼女の前でお姫様の役なんて惨めなことできない」と開演直前にトイレの個室に立てこもります。マミリン気の毒丸。
オロオロと謝る翠ちゃんに対し、つい「お調子者でお節介で、あんたなんか大っ嫌い!」と言い放ってしまうマミリン。翠ちゃんは涙ぐみながらも、トイレの個室壁によじ登り、「あんたがあたしを嫌いでも、あたしは好きよマミリン!」と伝えるんです。
ここね、リアルタイムでどう思ったかは忘れちゃったけど、大人になってから読み返してハッとしました。
なぜなら私がもし誰かから「そういうとこ大っ嫌い!」と言われようものなら、
と返すようなセルフモンペになっていたからです。
前回の記事にも通じる話ですが、10代から20代にかけての私は
- 自分が好きな相手に対して、自分が相手に向けるのと同等かそれ以上の愛情を求めてしまい、
- それが叶わないと、その差分だけ相手を嫌ったり相手の価値を低く見積もったりすることで自分のプライドを守ろうとする
傾向がありました。イソップ寓話に出てくる、葡萄を取れなかった狐のように。
「すっぱい葡萄化」は自分の心を守るために備わった防衛機制の一種で別にそれ自体が悪いものではないのですが、過剰に働くと人間関係が混乱します。しかも、無意識のうちに・自動的に働いてしまうからタチが悪い。
- 本当に好きな相手と良好な人間関係を築けない
だけでも悲劇ですが、
- 「その人自身」ではなく、「その人が自分を好き/評価してくれるどうか」で判断する癖があるとマルチなどの勧誘に惑わされやすくなる(例:私)
なんてこともあるし、
- 恋愛関係に働いてこじらせると、メンヘラストーカー、ミソジニー・ミサンドリーにつながる可能性があり大変厄介(このあたり言及すると長くなるのでいつかまた別エントリにて……)
です。
自分が好きな相手が自分を好きでいてくれない現実を直視するのは心が痛みます。心が柔らかく傷つきやすい幼い時期は、特に。
けれど、おそらく多くの人(ネグレクトやいじめなどによって決定的に自尊心が毀損されていない人)は成長と共にその痛みに耐えるだけの強さを身につけているはずだから、必要ないときは防衛スキル「すっぱい葡萄」を発動しない、という選択ができるようになるといいよね。
モンスターペアレンツに「子どもを信じる」ことが必要なように、セルフモンペも「自分を信じる」ことが必要なんだ。
ということを考えて、りぼんっ子たちに大事な示唆を与えてくれていた翠ちゃんはマジ天使マジ先輩さいこー、なのにそのメッセージを受け取れずひねくれた見方しかできなった私はマジ感性死んでるし薄汚れた大人になってしまった……汚れっちまった悲しみはたとえば狐の皮衣……汚れっちまった悲しみは倦怠(けだい)のうちに死を夢む……いやでもまだ間に合う! いまからでも「あんたがあたしを嫌いでも、あたしは好きよマミリン」と言えるような大人になろう……と思ったのでした。
が。
それから更に数年が経ち色々なものを見聞きした結果、
と思うようになったので少しだけ方向転換しまして、
と高らかに宣言する大人になりました。
そもそも自分で自分をちゃんと大事にできていれば、人の言動にあまり振り回されなくなりますからね。
共に鍛えよう! 自己肯定筋(インナーマッスル)!
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