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数年前、知的障害者・精神障害者支援の仕事をしている男性と知り合いました。ここでは仮にCさんと呼びましょう。

彼は、それまでの私の「障害者支援の仕事をしている人」のイメージを覆す、ユニークな方でした。

前職はホストのイケメン。
休日はパンクバンドのボーカルをしているといいます。

冗談のつもりで「利用者の方々とカラオケ行ったりするんですか」と聞いてみると、「行きますよ!」と明るい答えが返ってきました。

「え、もしかして歌うんですか? パンク」 「歌いますよ!」 「パンク系の音楽って……偏見かもしれませんが障害を持っている人に嫌がられそうな……」
「みんなこうしますね!(耳を塞ぐジェスチャー)」 「めちゃくちゃ嫌がられてる!!」

「でもその反応……パンク的には最高なんです! ゾクゾクします!」 「いや、嫌がられてるんでしょそれ!?」

「ツッコミが追いつかないよ……」と慄く私に、

「まぁ彼らの生き方ってある意味パンクですからね!」

と、さらりと話すCさん。この人すごいな、と思いました。

実はCさんに会うずっと前、私も障害支援の仕事をしたいと考えていた時期があったんです。

当時はもっともらしい理由づけをしていたけど、曇りなき眼で動機を掘り下げていったら、「自分に自信がないから、自分より弱い人を守ることで自分の価値を見出したい」「わかりやすく頼られて感謝される関係がほしい」という想いに行き当たり、愕然としました。

クズオブクズだわ……相手からしたら、自分勝手なエゴを優しさだよと押し付けられて、飲み込まなければいけないのはとてもしんどいことでしょう。人の気持ちに敏感な人の場合、支援者側の「弱い人の為に闘う自分でありたい」という想いを叶えようと、無意識に弱い人であろうとしてしまうかもしれません。ひとつは優しさ故に。ひとつは自分を必要としてもらう戦略として。共依存関係とはそうして形づくられていくのだと思います。

また、支援者側に「感謝されたい」という気持ちが強くあると、感情表現がややこしかったり、性格に難があったり、相性が悪かったりする障害者を無意識に冷遇するようになる危険性もあります。「都合のいい弱者」「きれいな弱者」を無意識のうちに求めてしまうというか。そうすると、その場の人間関係はどんどん不健全なものになっていくでしょう。

障害者支援に限らず、もし本当に誰かを助けられる人になりたいなら、外に評価を求めなくてもいいよう、ちゃんと自分を持つ必要があるんだな、そして私はまだその段階にないみたい、と思いました。

誤解のないよう書いておくと、「心に一片の邪な気持ちのない聖人だけが人を助ける資格がある」みたいなことを言いたいわけじゃなくて、「自分の無意識のところにある気持ちに気づかないと、本当にやりたいことがわからなくなるし、自分も他人も振り回しちゃうよね」という話ね。

Cさんに話を戻すと、知的障害を持つ人たちを「生き方がパンク」と称して、一緒にいる時のハプニングをネタにして笑う彼の言動に、もしかすると、眉をひそめる人もいるかもしれません。でも私は、「いいことしてます」なんて気負いは微塵も見せず、友人について語るように気負いなく利用者さんのことを語るCさんの態度を、いいなぁ、と思ったんです。利用者さんたちも、一緒に過ごしていて気持ちいいだろうな、と。

そして、私のやりたいことは、こういう人の振る舞いや姿勢を発信していくことなんだな、と再確認したのでした。独立してライターになる、少し前のこと。

 


 

突然ですが初めての著書が小学館から出ました。
2012年から取材してきた、“震災後に始まった東北の手仕事と、その背景”を紹介する本です。
この本の中にも、「本当に役立つ支援って何なんだろう、どんな姿勢で被災地に関わったらいいんだろう」と悩みながら、プロジェクトを形にしてきた人たちが出てきます。本屋で見かけたら手に取ってみてください。『復興から自立へのものづくり』(小学館)
http://www.tohoku-manufacture.jp/blog/book.html
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